まだ三十路だけど、再就職も大変なので、偉そうな事は言えないという事を聞いた話。

「三十路になると、1年経つの早く感じるのは本当の話だよね~」

 

わたしの横でTさんが、タバコの煙を揺らめかせながら、呟いていた。

 

「三十路になる自分は想像できなかったけど、いつの間にか、三十路になってるもんなんだよね」

 

Tさんとわたしは、協力会社のカタログ作成に関する打ち合わせで、午後3時に向かう事になっていた。

 

車で向かう前に一服したいという事で、わたしはTさんが吸い終わるまで待っていたのだ。

 

「Mさんも四捨五入すれば三十路だよね。アラサーだよ。でも、本当にアラサーになるのは、27歳を過ぎたらあっという間だよ」

 

失礼な男である。そんな事は言われなくても分かっている。

 

その後も、どうでもいい事をぺらぺらと喋りつくしたTさんは、満足したのか、そそくさと運転席に坐り、わたしに出発を促した。

 

「でもさ~俺らの仕事ってさ、普通の人に説明するの大変じゃない?」

 

「確かに大変ですよね。未だに上手く説明できないですよ」

 

「俺は嫁にも、まだ何の仕事しているのか分かって貰えてなくてさ~」

 

小気味よくハンドルを廻しながらTさんは、何故か満足げに喋っている。

 

「嫁自身が理解してないんだから俺の仕事。周りに何て説明してんだろうね」

 

「子供もさ、将来、パパの仕事って~みたいな展開になるとどうすんのかね…別に怪しい仕事をしてる訳じゃないんだけどね」

 

「普通はさ、会社員っていう段階までは説明できるじゃない。ところがさ『何の会社員?』っていうところで躓くんだよな」

 

「…最近、わたしは計器を売ってる仕事って説明してます。って言うのは、一般の人には、縁がない仕事を分かりやすく説明しよう。って考えるじゃないですか?」

 

「そうだな~」

 

「わたしの場合、それが逆に良くないみたいで、かなり噛み砕いても説明が長くなって、余計に混乱させるみたいなんでよね…『で?だから、何の仕事なの?』みたいな」

 

「でもですね。シンプルに計器を売ってます!みたいな言い方だと、また、困った事があって…」

 

「あれだろ?ケーキ屋と間違われるとか?」

 

「よく分かりましたね。そうなんですよ。『計器』じゃなくて『ケーキ』って誤解される時もあるんですよ。っていうか大半ですかね。」

 

「最初は全然、それに気づかなくて、この間、久しぶりに会った大学時代の友達に自分の仕事を説明したんですよ」

 

「そしたら、その子がMはケーキ屋で働いてるって周りに喋ったみたいで、他の友達に『転職した?』とか言われる様になっちゃって…」

 

「…パティシエ目指してんの?とか言われたり…まあ、説明が面倒ですよね』

 

「そうだな~」

 

「まあ、いいんじゃん。別に怪しい仕事している訳じゃないんだし」

 

Tさんは派手な男である。眉毛を剃りこんで、明らかにコンシーラー使って整えている。

 

夏場は、カラフルなイタリアンカラーのワイシャツを着こなし、髪の色は誰が見ても地毛ではないだろう。

 

極めつけは、先ほどから車内に満ちている香水の匂いである。何の香水かわたしにはさっぱり分からないが、とにかく鼻につくのだ。

 

怪しい仕事はしていないと嘯いているが、Tさんの格好は、一般のサラリーマンのそれではない。

 

錦糸町などにいる、キャバクラの客引きにしか見えない。というのがわたしの率直な印象である。

 

自分の仕事が説明できないという以前に、外見を正す方が先なのでは?と思うのだが、彼は全く気にしてはいない様だし、こちらが口を挟める余地もない。

 

そして、うちの会社は仕事さえこなせば、あまりうるさい事は言われない。外見なども特に注意はされないのである。

 

また、男性社員は接待が長引き、午後出勤でも特に文句は言われないし、接待自体を積極的に行うように社長から命令されている。

 

目的は大体、想像できるが、分かっている事は、その方針に対して、女性社員の反感が強かったという事だ。

 

仕事(?)とはいえ、接待を月に何度も行い、午後出勤など許せないという事なんだろう。彼女達は定時に出勤して、真面目に仕事をしている。

 

結局、女性社員の一人が社長に胸の内を吐いた所『君たちも付き合えばいいじゃないか?』という意見を頂いた結果、女子社員までも持ち回りで接待に駆り出された。

 

余計な事をしてくれたものである…

 

「合コンとかでもさ~説明が面倒臭いよなね~?」

 

「面倒臭いですよね」

 

「だけどさぁ~仕事内容『金融関係』とかって言うよりマシじゃない?」

 

「金融関係ですか…」

 

「普通、金融関係って言うより、その方面だと『銀行マン』とか『証券マン』とか具体的に言うじゃない?それが『金融関係』だよ?どういう仕事してんの?って思うじゃん」

 

「確かにそうですね…」

 

「Mさんどう思う?合コン相手にそういう人いたら?」

 

「いや…ちょっと引いちゃうかもしれませんね。まあ、喋ればいい人の可能性もありますけど…」

 

「だよな~」

 

「Mさん。最近、付き合ってる人いるの?」

 

「ここ最近はいないですね」

 

「社会人になるとさ~出会い減るよな~婚活パーティとかも地雷多そうだしな」

 

Tさんと奥さんの馴れ初めは『出会い系サイト』である。

 

結婚前、Tさんは『出会い系サイト』で知り合った現在の奥さんと合コンで知り合った女性と二股を掛けていた。

 

奥さんとの結婚の決め手は『身体の相性!』と同僚との飲み会で、酒臭い息で意気揚々に喋っていた。

 

因みに結婚式の時、仲人に馴れ初めは『出会い系サイト』と、会社関係者、はるばる呼び寄せた親類縁者を前にして公言させた事は呆れるどころか感動してしまった。

 

外見はケバケバしく飾るが、中身を全く飾らないTさんに、わたしは親しみを抱いていた。

 

「ところで、Tさんって、協力会社の人たちに凄い慕われてますよね」

 

「ウチで使ってくれなくなったら、協力会社に雇って貰えるんじゃないですか?実は社長に聞いたんですけど、Tさんを欲しいって、言われたみたいですよ?」

 

「いや…俺はあそこの会社はいいよ」

 

「Mさん。協力会社に行くのは今日が初めてだっけ?」

 

「そうですね。電話では何人の方とは話ましたが」

 

「なんか…結構、経営がヤバいらしいよ」

 

「そうなんですか?」

 

「経営もヤバいけど、社内雰囲気もヤバくてさぁ~事務を派遣会社に依頼しているみたいなんだけど、すぐに辞めちゃうんだって」

 

「社員はみんな50~60歳のおっさんしかいないじゃん。それでさ。営業なのに事務仕事が忙しすぎて、社外に全然出ないんだよ」

 

「狭い事務所にさ、ほぼ毎日、いい年した男たちが殆ど会話しないで、黙々と仕事してるんだ」

 

「ほぼ毎日っていうのが、本当にそうでさ~あの人たち『休まない』んだよね~。っていうか、家に殆ど帰らないみたいよ」

 

「この間、ゴルフに行った時にさぁ…うっかり俺、携帯番号を教えちゃったんだよね。そしたら、土日に連絡が入ってくる様になっちゃってさ~」

 

「普通に日曜日の夕方とかにかかってくるからね。かなり気分がブルーになるよ」

 

「でも、忙しいなら、儲かってるんじゃないですか?」

 

「そうじゃなくてさぁ~。あの人たちが売っている計器は凄い価格競争が激しくて、とにかく『数』を売らないと利益にならないんだって」

 

「あまりにも単価が安すぎて、『あの会社の計器は、キロ単位でいくら』みたいな事を社長が小ばかにした様に言ってたよ。価格ありきで性能なんて二の次みたいな」

 

「一回の案件で提出する見積と仕様書が百枚超えるのザラなんだって。Mさんそんな仕事やりたい?」

 

「…定時には帰る事は出来ないでしょうね…」

 

「だよな~それにさっきも言ったけど、あの人たち、本当に家に帰りたくないみたいで、そういう意味では恵まれてるかもしれないけど…」

 

「ご家庭。上手くいってないんですかね?」

 

「よく分かんないけど、俺はやだね。そんな職場。欲しいって言われてもね~」

 

「あとさ。何か話を聞いてくれる人に飢えてるみたいで、俺が行くと中々、返してくれないんだよね~」

 

「そうだ。Mさんこそ、あの会社の事務員やってみれば?お茶を出す順番とか間違えると怒られるみたいだからさ。遣り甲斐ある仕事かもよ?」

 

「どこがですか?大体、いい年した方々がお茶を出す順番で怒るって…何か悲しくなってきますね…」

 

「色々さぁ。溜まってんじゃないの?文句言いたくても、狭い人間関係じゃ。言えない時あるじゃん」

 

「せめてでも捌け口っていうかさ~。何だろうね。俺の方が『偉い』ってところを守りたいんじゃないの?よく分かんないけど」

 

「50~60歳になって辞める事も出来ないだろうから、気に入らなくても、今の会社にしがみつくしかないでしょ」

 

「でも、俺はまだ『三十路だけど、偉そうな事』は言えないからな~」

 

「ここの会社辞めて再就職って、大変だよ多分。大体、自分の仕事を満足に説明出来ないじゃん」

 

「そんな状態で辞めてさ。再就職の面接の時、説明すんの大変でしょ。俺は一生、ここの会社にしがみつきますので!ヨロシクね~」

 

そんなどうでもいい話をしながら、私たちはいわくつきの協力会社に向かって行った。

 

夏も終わる頃の話である。