ミステリーの本質は「人の心」。東野圭吾さんを見直したドラマ『新参者』について

東野圭吾さんは、薄っぺらい作品を大量創作する作家だと思っていました。

いきなりですが、わたしは東野圭吾さんの作品は、あまり好きではありませんでした。

 

キツイ言い方で上から目線ですが、彼は西村京太郎さん、山村美沙さん、内田康夫さんと同レベルの「商業ミステリー作家」と見下していたんです。

 

因みに「商業ミステリ―作家」とは、わたしの独りよがりな造語ですが、決して誉れ高いものではありませんので、あしからず。

 

東野圭吾さんもわたしは、上述の作家の方々と同位置で、薄っぺらい作品を大量創作する作家だと思っていました。

 

しかし、今年の正月、ヒマでヒマで仕方がなかったんですね。その時、TBSで東野圭吾さん原作ドラマ『眠りの森』を観たんですよ。

 

感想として、2014年、初めて涙を流す事になりました….。

 

ミステリーの本質は、トリックとか叙述ではなく、「人の心」です。

わたしは「パズル小説」が大っ嫌いなんです。この「パズル小説」というのも、わたしの造語です。

 

「パズル小説」とは、やれ密室トリックとか、アリバイとか、そんなのを誇らしげに書いている小説です。世間では、本格ミステリーとか呼ばれているようですが…

 

その本格ミステリーの定義とやらが、上述した密室トリック、アリバイ、酷いものになると記載した文章に仕掛けがある。と息巻いている叙述トリックなんてものもあります。

 

こういう作品を書いているわたしが知っている範囲での作家は、例えば、鮎川哲也さん。法月倫太郎さん。森博嗣さん。有栖川有栖さん。二階堂黎人さん。

 

まだまだ、いらっしゃるんですが、パッと思いついたのがこの方々ですかね。

 

ただ、有栖川有栖さんと二階堂黎人さんは、完全に嫌いという訳ではなく、有栖川有栖さんはミステリーよりも純文学の方が向いているような気がします。

 

二階堂黎人さんは、コテコテの本格ミステリーマニアなんですが、その中にも、人の心の闇にかなり魅入られているようで、その辺りは非常に共感出来ます。

 

ミステリーっていうのは、パズルじゃないと思うんですよ。「謎」という意味を曲解しているんじゃないでしょうか?

 

ミステリー小説は往々にして、人が殺されますが、これを契機としてミステリーの作品として、わたしが好きなのは「どうやって殺したのか?」ではなく、「何故、殺されなければならなかったのか?」コレなんですね。

 

何故、殺されなければならなかったのか?それがテーマとなっている『新参者』

東野圭吾さん原作ドラマ『眠りの森』から始まって、『麒麟の翼』『赤い指』『新参者』を観てきましたが、基本的に「何故、殺されなければならなかったのか?」がテーマになっています。

 

こういう「人の心」の本質に迫っていく、作品は本当にわたしは大好きです。

 

やはり、ミステリーの本質は「人の心」ですね。殺人という重罪を犯さなければならなかったその背景や動機。

 

それを「共感」させられる作品が真の本格ミステリーだと、わたしは思っています。東野圭吾さんは、『新参者』という作品でかなり見直してしまいました。

 

以上、かなり独りよがりなミステリ―論をでした。

 

 ※『新参者』加賀恭一郎シリーズの最新作です。

 

祈りの幕が下りる時

祈りの幕が下りる時